今年三月に根のカルマの解消をする為に、自宅近くの神社へ毎日お詣りをしました。
そもそもなぜこれをしようと思ったのかは、ある神道家がやり方を伝えていたものをたまたま見る機会があったことと、過去世の行いや因果応報ということに関心があったからだろうと思う。
この間、わたしは毎日自宅で祝詞を奏上してから、産土様へ同じ願いを申すために二十一日間通いました。
最終日に、いよいよ自らのお願い事を述べた時に、これまでにない体感を感じました。
いつもお願い事を申した時にはこんなことにはならない。激しい鎮魂状態というか、血が騒ぐような感じというか、言葉では表しようがないのですが。
神道家の方曰く、お願い事を述べた後手を合わせて待っていると体が前に傾いた場合にはその願い事が聞き入れられた合図だと言われていました。
わたしはその時に体がぐらぐらした後に、後ろへ倒れそうになりました。
その時は、聞き入れて貰えなかったのだと、とてもがっかりしました。
聞き入れてもらえなかったのでまた最初からやり直しになると思ったし、そんなに簡単に解消されるわけもないかと思い、機会があればまたやろうなどと考えながら鳥居を出たのでした。
しかし、この産土様にお詣りをしている間に変わったことが幾つかありました。
一つは物事や特に対人に動じなくなったこと、一つは霊格の高い方との出会いがあったこと。
また、これを書いているのはお詣りから二カ月ほど経っていて、最近気付いたことですが首筋に憑き物が、憑かなくなったことです。
そして、大野靖志さんの話を聞き返していて言われていたことには、遠津御祖之神様と繋がった時には後ろに倒れるということです。
遠津御祖之神様と繋がったときの分かりやすい変化としては、人から変わったねと言われるようになるということだそうで。六年前に祓を奏上していた頃、後にパンデミックになり、パンデミック以降に人が戻ったときには、数名の方に、変わったねということは言われましたし、最近でも言われました。
ただそれまで、後ろに倒れそうになる体験はなかったので、まさにあの時、最後のお願いで後ろに倒れたのは、そういうことかと確信に変わりました。
遠津御祖之神様、国津神様、天津神様の認識も朧げの中お詣りし、今少しずつ関連付けられ始めたような気がしている。
今年に入ってから、色々な体験が加速していて、これまでの盲目さ加減が、不思議で仕方がない程に、ぼうっと生きてきた半生を省みている。
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