明け方頃、初めて亡くなった祖父母の夢を見た。
祖父に関しては、夢に出てくるのは初めて。なので二人で出てくるのもはじめて。祖父が元気だった頃の記憶はほぼない。
一緒にお庭で家族写真を撮った時のものがなぜか私の個人的なアルバムに収められていて、元気な時の思い出はそれしかないのだが、それを撮った時の記憶もあまりない。
祖父は写真中でもいつも無表情という印象だけれど、母いわく、まだ私が歩き始めた頃に(兄は小学低学年)遊びに行くと、笑いながら私や兄を追いかけ回していたと聞いたことがある。
幼稚園頃には、老衰で別室で伏していることが多くなった。いつも衝立や、界壁越しに気配を伺うだけで会うことは許されなかった。
そして入退院を繰り返す様になり、遂には入院したまま戻らなくなり、祖父の闘病を邪魔しない様にしていた努力も虚しく、私が小学一年生の夏休み中に旅立った。
私はその頃、友達の母親から薦められた母の薦めで嫌いなピアノの先生の教室に友達と一緒に通っていた。丁度ピアノの発表会がある時期で、人前で弾くことが嫌で仕方がなかった頃でもある。レッスンの順番待ちの最中に母から直ぐに帰って来なさいという連絡があり、何となく祖父のことを察した。そして、レッスンから解放された。更に葬儀などでその年の発表会を免れ、おまけに次の年の発表会も初盆で免れた。その後、レッスンを辞めてしまったが良かったと思っている。
ピアノの先生が指が一本ないおじさんで、その指と指捌きに子どもながらに引いていた。そして、明らかにレッスンが嫌なことが先生にも伝わっていたせいかよく怒られていた。それを祖父がやらなくていい方向に導いてくれたのではないかとその当時から思ってきた。
祖父は、日本炭鉱の経理部から常務取締役になった人で真面目で正直な人柄だったようだ。毎朝東の空に向かって手を合わせて拝んだり、ゴルフが得意で釣りも趣味だったらしい。
そんな祖父が夢の中でも、やはりいつもの淡々とした表情で淡々と何かをしていた。側には祖母もいて淡々と何かをしている様子。何か話しかけられたわけでも、喜んでいるわけでも、悲しんでいるわけでもない。夢占いでいうメッセージ性はない。そのままでいいということなのか。
けれど、祖父母が出てきてくれて嬉しい、ありがとう、頑張ります。