根のカルマの解消後に絵本作家ののぶみさんと出会った。
私は常日頃、国防について興味があり、地域と国の平和と自分の店と生活の安定と、これに関わる人々の幸せを常々願って生きている。
おおまじで...
そのため、まあまあ自分は神様的思考と思っていたのだが、のぶみさんを見た時にはこの方の霊格の高さから伺い知れた自分の霊格の低さに打ちのめされ、思い上がりと修行の足りなさを知るところとなった。
毎日、祝詞を奏上し人に優しくし徳を積んでいったとしても、のぶみさんほどの愛情を注ぐパワーが自分の中にあるかというと、全くある気がしない。
私は生まれた時から虚弱で、無理をすると体がついていかないことを経験上よく知っている。そのせいで色々なことを挫折してきたことも確かである。
そのため、割と省エネルギーで過ごす習慣が付いており、全力を出すときは出すが、その後は数日身体が死んだようになるし、正直いって、自分やこの周辺を護ることで精一杯だ。
また、のぶみさんは今世に生まれたり、あの世へ死んで帰る仕組みを説いている方で、そのことが、自身の根のカルマの解消に大いに役立ち、のぶみさんは尊敬する人物でしかない。
また、同時期にある神道家の話しの中でマヤ暦との出会いもあり、自分の生まれてきた使命や生まれ持った特性を知ったことも、大いに自分に対する自信を持つきっかけとなった。
それらのお陰で最近は、悩みが解消され動じない自分がある。
紛れもなく根のカルマは解消されたと確信したのだ。本当の所は、目に見えない世界が見えないのでわからないが、第一段は完了というところなのか。
そして話は飛躍するかも知れないが、神社通いなど繰り返すうちに、今は戦争中であるという認識が深まる。
一連の攻撃から龍神が、つまりは地球を日本を守護する実行部隊の神々が、今身を挺して列島を護っているという事なのだそうだ。
私自身は、目に見えないものが見えない。のぶみさん曰く、こういうことを妖精の前では禁句なのだそうだが、実際に龍も妖精も宇宙人も見えないので信じようがないのだ。しかし、そういうお働きだと解釈している。
それでも私が今世、地球に生まれてきた使命は、恐らく地球を護る事だと確信している。
思い返せば、小学の時は自然が好きで、緑豊かな祖母の家に行くことが何よりの楽しみだった。その頃、国連にも興味があったが、世界のことを理解するには未熟だった。
高校になり地球環境に興味がわき、環境問題を勉強したが、大学受験で進みたかった化学環境工学の道は、挫折した。
大学は滑り止めで受けていた建築が専攻であったが、専門とは別の社会教育主事に興味がわき、そちらの講義は成績優秀であったのに、そちらの進路も公務員しかなくここでもお勉強できない自分の壁にぶち当たり再び挫折。
現実を見たときには、心躍る仕事を見出せずに、やりたかったことは全て諦めて、なすすべなく、平凡な社会人となる。
そんなわけで?笑、地球環境や人道支援などには、小さい頃から魂レベルで携わりたいと思っていた。
こんなことをもう三十年近く忘れていたのだが、ここ最近、思い出し始めた。これが自分の使命だと確信している自分がある。本当に生き辛い半生だった。これからも生き辛くはあろうが、今は自分の本分を思い出せて喜びに満ちている。
地球つながりでいくと、建築の仕事を悶々としていた頃、縁あって素戔嗚がおられる地域に嫁ぎ、素戔嗚のもとで結婚式を挙げることになる。
素戔嗚が地球を守護するお働きであることはご存知の方も多いと思うが、その頃の私などは、その様なことは知りもしない、一般的な家が仏教の人間でした。
夫の家が、先祖代々神道であったことで、初めてその道へ意識が及び始める。ただ結婚式を神社で挙げるということだけは、以前からなぜか自分の中にあった。
これらは全て、守護神である父やご先祖様累代の方々のお陰であると、気付いたのも最近のこと。
その後、縁あって夫が始めたお店も天津神の伊弉諾尊の膝元だったことを知った。
こちらは、はじめはお店を始めたことによる色々な不調から祓いに出会い、そこから地域貢献、日本、地球守護にまで意識が及ぶようになったわけだが、
伊弉諾尊は祓いの神だそうで、地域の災難、災厄を祓い清める働きということだ。敷地内には土俵がある。
あくまで推測だが、土俵は、毎年、九州場所で横綱が土俵入りしていることもあり地震を鎮める意味合いがあるのでは。
縁ある地の産土様が、全て天津神である事を知ったのは、つい昨日のことであったが知識として浮かんでいたものが関連付けられはじめたことに最近気付かされることが多い。見えないお働きに導かれていると思える。
そして自分は、地球を守護する定めにあるとを確信せざるを得ないと、この時代に生まれたことも。
そして、直ちにここ最近の現象であるウィルスや電磁パルスや地震を祓い除けてくださったお力に、お礼と感謝のお詣りをしに向かった。
産土様の鳥居の前には大きな池があり沢山の鯉が泳いでいる。そこには水の神様として石が祀られている。
水の神様と言えば最高神である天之御中主之神しか思いつかないが、本殿ではなくこの鳥居の外の池の敷地の中に祀られていることが、腑に落ちないでいる。
自分が勉強不足で、水の神様も他にもおられるだろうし龍神のことなのかもしれないし伊弉諾尊がその役割かも知れないし、今は関連付いていない。
鯉は滝を登り龍になるという。ここがこの地域を護る要石の役割りなのか。
ここの鯉達も龍としてこの地域を護っているのかも知れない。
自分が神の分け御霊で、地球に生まれて、地球を実行守護する龍だとすれば、虚弱な色白のひ弱な龍のイメージしかなく到底微力でしかない。
だが神一輪を起こすのは日本人であり、日本人は龍の子なのだそうだ。
そんな大事を成し遂げるのが自分とは思ってはいない、ただ導くものが顕現したときに、いつでもその一助になる準備はしておかなければならないと思っている。
この日、鯉がやけに喜んで泳ぎまくって口をぱくぱくして挨拶しているようだった。
鳩もこちらを意識していたし、日頃警戒して寄り付かない雀までもがはしゃいでいる様にわたしの周りに集まってきた。
が、みんな餌が貰えると思っただけかも知れないが。。。この日は、なんか違った気がする。