2024年10月5日土曜日

捻挫から一週間

 一週間経ち昨日は、朝起きて患部以外の左足の伸びができた

起きたてはあまり調子が良くないが、食事後から少しずつ足が着けるようになって、歩行が随分と楽になった

お店のトイレが広くてやりやすい、階段を降りたり登ったりも右足や腕などに負担をかけることなくできるようになったが、右足が左足と同じくらい浮腫んで腫れていた

今朝は、昨日に一本足で数時間昼から仕込みのため立ったまま作業していたのが祟って、なんか右足だけで立っているのがつらい、一晩経っても浮腫が取れていない

右足の負担を減らすためできることは座った状態で作業をやるのだが、特に調理作業などは一旦腕を持ち上げないといけないので、腕がとても疲れる上に、立ってやるほど作業が捗らずになんかストレスが溜まる

なんかこの生活に疲れるなぁって思ってしまった

こういうメンタルになるのはよくない傾向だ

なんとか楽しくしたいがとてもできない

なので、ストレスを取るにはなるべく溜まってる作業を根気強く一つ一つ片付けていくしかないのだ

2024年10月2日水曜日

左足首捻挫

 やってしまった、繁忙期の最中に、しかも10月は激務なのに

考えてみたら、忙しく充実している時にいつも事故を起こしている、それも反対キンの巡る年に

小さい頃から虚弱な私だが、四年に一度のこの年は赤い蛇のせいかタフに動ける、そして、結果事故を起こしている

四年前は、調理場で転んで右目の周りを切る怪我に、謎の左足親指の付け根の痛み、靴も履けない歩くのさえ大変な痛み

整形外科に行っても原因が分からずに薬も貰わずにただ安静にするだけだった

今回は清掃中に段差を超えた着地時に足首を捻って捻挫

睡眠不足気味だったからか油断していた、あり得ないそそっかしさだ

めちゃくちゃ腫れて触れないし動けないほど痛く、10分ほどその場で痛みに耐えじっとしていた

途中気が遠くなりそうな貧血状態にもなり本当にやばいと思った

土曜の夕方だったので病院には行けずにそのまま日曜まで仕事をこなし、月曜になるまで湿布を貼ったりして、全て右足のみで生活していた

店の階段やカウンター水回りの段差がなかなか超えられなくて大変だった、家に帰るために店の前の車道を渡るのも必死

トイレに行くのも、洗濯するにも、ご飯作るにも、身支度するのも全てが筋トレみたいで、そのうちに筋肉疲労やら筋肉痛やらで痛くなり、動くことそのものが苦痛に

とにかく二次災害だけは避けたいので慎重に、休み休み過ごしていた

月曜になり始めて、左足を地面に付けてみようかという気になった、それまでは痛過ぎてとてもそんな気にはなれなかったのだが

右足ケンケンのみで病院に行くのはとても無理で、かかとの内側に重心を一瞬だけ持っていく分には痛みがないので、そうやって騙し騙し歩いて診察を受けに行った

病院でレントゲンを撮った、骨は折れてないが、筋が切れているかどうかは分からない様だ、とにかく固定しましょうということで90度の板を当てられ松葉杖を渡された

松葉杖がとても快適で、これまでは頼りない日傘とバットを杖代わりに移動していたので、力が入らず右足頼みだったのからすれば、随分と楽になったが、今度は腕や胸周りが筋肉痛になり松葉杖をつくたびに激痛が、これはタオルを巻くことで随分と軽減された

支給された痛み止めが効いてか、患部の痛みはだいぶなくなり可動域も広がってきた

それでも、2週間は足をついてはいけないと言われているので歩く時は片足なのでとても不自由だ

月曜の夜にはビニールぐるぐる巻きにしてお風呂にも入ることができて、とても快適に

右足の筋力も付いてきたのかトイレや少しの移動がそんなに億劫に感じなくなってきた


2024年9月20日金曜日

夫との不思議なシンクロ

 前回のブログでは、不思議なシンクロを書いた

誕生石のアクアマリンに導かれて夫と出会った話。

これは、アクアマリンは私のガイドである青い猿のラッキーカラーであり、私の亡くなった父は、古代マヤ暦では、KIN131 青い猿、青い猿、音1

まさに、父が誕生石に同期し、精神を癒し現実世界を導いてくれたのだと思わざるを得ない体験だった

そして、また一つ分かったことには

マヤ暦と易経の関係であるが、自分の一生涯の応答卦というものがあり、これを算出してみたところ、なんと夫のKINナンバーとなったではないか。使命が同じことをせよと言うことか。

マヤ暦で夫との関係性はないが、音については、一緒に仕事をする上では最高の相性だ。

また、古代マヤ暦では、私のガイドも神秘も紛れもなく夫となっている。考え方が違ってそうなのでこれは何とも言えないが。

そして、更に古代マヤ暦では、父と夫は鏡の向こうKIN同士である。私は父を失った後に、父のもう片方の人と出会い結婚したことになる。

それから、鏡の向こうはまだいた。

古代マヤ暦でみたところ、二人の姪は鏡の向こう同士で、妹の方とは私までもが鏡の向こうセットという結果に。姉の方とは、隣同士のKINになっている。

父は青い猿の音1、母は赤い龍の音1、姪は白い風の音1、甥は黄色い人の音1

2024年9月8日日曜日

ガイドの誕生石

 私の誕生石は、アクアマリン

二十代の頃から仲良くさせて頂いていた方が、宝石のコレクターで、その方の勧めで誕生石を持ったのがおそらく33歳頃だったか

アクアマリンが来てから、不思議な体験をいくつもした

私は父を31歳で亡くしている。母と身を寄せて生活していたが、二人でいても、母も私も大きく空いた心の穴を埋められずにいた

そんな時に、前々から欲しかった誕生石、アクアマリンを決心して手に入れた

手元に届いた時は、その美しさに吸い込まれる様な、南の島の澄み切った海の色の様な、透明感ある水色に、いつもうっとりと眺める日々

そして、それが癒しとなったのか、ぽっかり空いていた心の穴が温かい波動で埋められる体験をした

その時は、父の魂が入ってきたのではないかという気がしたが、今は、父の魂がこの石に同期したということは大いにあり得ることだと思う

私だけ和むことができて、母には申し訳なかった

その後しばらくして、GW過ぎに、知り合いの社長さんが、社員旅行でグアムに行くけれど、チケットが一人分余ったので行かないかと誘われ、二つ返事で同行させてもらった

美しい海に浮かぶ島、プライベートビーチでは、透明度の高い水色の海が広がり、アクアマリンの中で見た世界が、現実として広がっている

この石に導かれたのだと直感的に思った。この美しい海で、石の浄化も行った

石との縁、誘ってくださった縁に心から感謝しかない

更にその年の秋には、現在の夫と出会うことに

なんと言っても驚いたのが、この年は、白の時代の13年目で、まさにギフトの年だったこと

更に、結婚したのは、青の時代の一年目。つまり、13年目にソウルメートに出会い、生涯の伴侶と刻印を打った。これはまさに運命通りに生きていたことになる。

分かったことには、私のガイドは青い猿で、青い猿のラッキーカラーはアクアマリン

アクアマリンには、「幸せな結婚」という意味があるという

この石は、私にとっては、エアレンディルの瑠璃瓶の様なものに思えてならない

しかも、古代マヤで父は、KIN131つまり、青い猿、青い猿、音1

まさに、アクアマリンのガイドにより私は、導かれる様に自分の運命を生きていたのだなと

それに気付かされたのも、宇宙との同期なのだと。

2024年9月7日土曜日

店が12周年を迎えた心境など

 昨年のこの時期のブログを読み返していると悶々としていた様だ

これは、実はある事故が起きる、今年の7月まで続いていた

それまで、今の仕事はいつまで続くのかという虚無的で、外的要因に左右されそうな思考で生きていた

これまでの、世の中に対する絶望からくる感情で、感謝はあれど、有り難みが薄かったり、笑っていたとしても、心から笑えていなかったり、そんな激しい虚無感の中で、コロナ後を過ごしてきていたわけです

その事故がなぜ起きたかは、この悶々とした意識が究極に極まった事によるもので、とても大きな衝撃だった、共に憤りも大きかった

何かを何かのせいにして生きていると、積もり積もって大事故になる

お前はいい加減目を覚ませと、神にかつを入れられた、そんな事故だったと直感的に感じた

そして、事故が起きた時の意識も重要で、この程度で済んで良かったと思うこと、なぜこういうことが起きたかを考え、反省し、足りてないものを追求し、それを補う生き方に変えていくこと

この事故のお陰で、これまで見えていなかったものに気付かされ、感謝が溢れた

現実世界は何一つ変わっていないのに、見える世界ががらっと変わった、自分の在り方が変わった瞬間だった

今の仕事の有り難みを、本当の意味で再認識ができ、むしろ、健康が続く限りやらせてくださいと天へ拝み始める自分があった

この本当の意味で再認識ができたことが大きく、その後の態度や、つまり顕現される世界が変わっていった

どんなに酷い現実世界を想像していたことかと、この数年間を本当に勿体無いことをしてしまったと、時折り思い出しては悔い反省する日々

本当の意味がわかった時、意識が変わってから、一月経ったが、陣地の及ばぬ力が働く、宇宙との同期がちらほらと感じられる、こんなことが増えた

有り難い

結果、災難を逆吉へと転じさせた、良いことだったと思はざるを得ない

そんな中で迎えた12周年は、とても清々しい


2024年8月14日水曜日

魂の誕生日に出会った古代マヤ暦

今朝、一般的なマヤ暦とは別に古代マヤ暦があることを知り、早速算出してみた。

全く違う結果が出てきたが、その特性も割とあるなと、むしろこちらの特性がよく出ている様な気がして感心していた。

しかし、どこまで信憑性があるのか、疑念を抱いてしまい横に置こうとしたのだが…

ふと今日のキンを見ると、なんと、

古代マヤ暦の自分の魂の誕生日の日ではないか。

そもそも算出方法が違うので何とも言えないが、これには、宇宙とのシンクロを感じずにはいられない。

今日に、分かりやすく、古代マヤ暦と出会わせて頂いたのだと思わざるを得なかった。


2024年8月8日木曜日

ライオンズゲート最高潮の日に行った店は大はずれだった

営業がてら覗いた知り合いの店が満員でその対面にあり最近新しく出来たであろうぎらぎらとした「うどんとおでん」という看板の店へ流れた

文字通りのおでんと白飯でささやかに夕食ができればという思いだった

雑居ビルの2階にあるその店の入り口まで行くと派手な看板とは裏腹な高級そうな和風の佇まいの入口に、一旦は帰ろうとしたが折角だからと夫が言うので扉を開けた

入った瞬間和食の料理屋風で奥に長いカウンターが伸びている

やはり高級そうな内装ではあるがこの内装でおでんとうどんなのか?他にも違和感が三つ

一つは、スパイスの香り
それから、BGMにボサノバが流れている
そして出迎えた店員は中東風の外国人

奥の席に並んで座るも飲み物を先に注文してくださいと言われて出されたメニューには確かにおでんとうどんのメニューはあるが、頭にスパイスと付けられている

メニューは他にも日本風の肉じゃがや牛すじ煮込みなどの居酒屋メニューがあるがどれも間に薬の文字が入っている

薬膳料理としたいのか、どれも高額、大失敗

仕方なく烏龍茶をまず頼むと、頼んでもないスパイスの効いた豆のお通しが…

仕方なくスパイスおでんとスパイスうどんとスパイス焼飯をオーダー

おでんが直ぐさま出てきたが、味は出汁にスパイスとココナッツミルクと植物性油が混ぜられていて味は悪くはないが温かくない

その後まもなくうどんが出てきた
つゆはおでんのものがうどんにかけられているというものだが、食べた夫の感想はぬるかったそう

そして私が頼んだ焼き飯は随分と時間がかかった
ガス代はある様だが炒めている様子はなく炒め物の匂いもしない

すると友人と思しき黒人が数人入ってきた、そして座るでもなくガヤガヤしたのち出て行った

それから暫くして出てきたスパイス焼き飯は、ぬるい太めの焼きビーフンだった、具材もさして高級なものは入っていない

しかも察するにこれは、先程の外人が別のところで店でもやっていて彼らがケイタリングしてきたものではないかと

他にもスリランカカレーのプレートメニューなどあるが、三〜四千円とかいう価格

間違いない、さっきの外人たちに作らせ運ばせて折半でもしているのではないか

他にも間違って入ってきたであろうサラリーマンが二組

違和感だらけのこのお店…

スパイスの効いた居酒屋メニューに薬と挟んだり、焼きビーフンをスパイスチャーハンとは良く日本語変換したものだと、そこだけは感心した

だが、看板と内装と内容がちぐはぐで二度目はないですね

2024年6月2日日曜日

根のカルマの解消と訃報と

 三月に根のカルマの解消をした時に

遠津御親之神と繋がった体験をした

そう言えばこれ以降に人から念や霊をもらう事がなくなった

肩や首が重たくなり放っておくと頭痛やウィルス感染までいってしまう危険なものだ

だがそういった不調とは無縁でいた

そして五月の下旬から先祖累代の御霊と改めて自分自身の前世の御霊のカルマの解消を始めた

伊弉諾尊は国津神なのか天津神なのかすら分かっていないままに産土様詣りをはじめたが

伊弉諾尊が洗い清めて生まれた底筒男、中筒男、上筒男は

つまりは、

天之御中主神が生んだ天照大神、月読神、素戔嗚だと言っていた神道家がおられた

このことが本当かどうかは定かではないが

伊弉諾尊が洗い清めた池とされるところの鳥居には天津神と記されている

やはりそういう事なのか…

そして、その池に行くと鯉と鳩が沢山居て

最近めちゃくちゃ彼らに懐かれている気がしてならない

一昨日は鳩が頭の上に留まろうとしてくるではないか

さすがにそれは避けたが、まるで天空の城ラピュタみたいやないかいと

最初はそうでもなかったし警戒をされているのは明らかだった

餌を一度も与えた事がないのだが誰か餌付けをしているのは確かだ

生き物の様子を見るのは気持ちが和むのでなるべく池の中を見るようにはしている

そして天津神をお詣りして帰るのが日課だ

今日は朝から夜までイベントが入っていて昨夜の筋肉疲労も抜けきれないままでお詣りできなかったので遥拝をおこなったのだが

その時に後ろへ引っ張られる感覚が来た

繋がったと

そして昼も夜も意図せずにお客様がよく来てくださり

来てくださったお客様に本当に有難いなと思う反面

この陣地の及ばぬ現象はご先祖様、遠津御祖之神様、国津神様、天津神様のお陰であると感謝をした

話は変わるが今日は昨夜の訃報で気持ちが悲しみに溢れていた

仕事に持ち込んではならぬと思うが気持ちに余裕がない自分があるのは明らかだった

バンドメンバーの突然の死、若くしてみんなを置いてった

周りの人たちの気持ちを思うと悲しみが溢れる

反面潔ぎのいい死に方だったと羨ましくも思う

楽しそうにしている主催者やお客さん、複雑な気持ちのまま昼のイベントは過ぎていった

夜のお出迎えの準備をしながらゴーグルズの音源をかける

気持ちは追悼モードにならざるを得ない、悲しみから抜け出せない

夜になりスイングさんが来られてすぐさま訃報の話が出た

やはり分かっておられる方々だと

その話をして下さっただけでも気持ちが少し楽になった

今日と明日とイベントが丸被りで通夜にも葬儀にも行けそうにない

この気持ちのままイベントをこなすのはちぐはぐだがお客さまには関係なくこなすしかなく

かといって追悼の意を忘れる事なく

自然と時間が過ぎてこの悲しみが薄れるのをただただ待つ

明日はもし行けたら産土様に故人の成仏祈願をしようと思う

2024年5月15日水曜日

霊格の高さと根のカルマの解消の話しをつらつらと

根のカルマの解消後に絵本作家ののぶみさんと出会った。

私は常日頃、国防について興味があり、地域と国の平和と自分の店と生活の安定と、これに関わる人々の幸せを常々願って生きている。

おおまじで...

そのため、まあまあ自分は神様的思考と思っていたのだが、のぶみさんを見た時にはこの方の霊格の高さから伺い知れた自分の霊格の低さに打ちのめされ、思い上がりと修行の足りなさを知るところとなった。

毎日、祝詞を奏上し人に優しくし徳を積んでいったとしても、のぶみさんほどの愛情を注ぐパワーが自分の中にあるかというと、全くある気がしない。

私は生まれた時から虚弱で、無理をすると体がついていかないことを経験上よく知っている。そのせいで色々なことを挫折してきたことも確かである。

そのため、割と省エネルギーで過ごす習慣が付いており、全力を出すときは出すが、その後は数日身体が死んだようになるし、正直いって、自分やこの周辺を護ることで精一杯だ。

また、のぶみさんは今世に生まれたり、あの世へ死んで帰る仕組みを説いている方で、そのことが、自身の根のカルマの解消に大いに役立ち、のぶみさんは尊敬する人物でしかない。

また、同時期にある神道家の話しの中でマヤ暦との出会いもあり、自分の生まれてきた使命や生まれ持った特性を知ったことも、大いに自分に対する自信を持つきっかけとなった。

それらのお陰で最近は、悩みが解消され動じない自分がある。

紛れもなく根のカルマは解消されたと確信したのだ。本当の所は、目に見えない世界が見えないのでわからないが、第一段は完了というところなのか。

そして話は飛躍するかも知れないが、神社通いなど繰り返すうちに、今は戦争中であるという認識が深まる。

一連の攻撃から龍神が、つまりは地球を日本を守護する実行部隊の神々が、今身を挺して列島を護っているという事なのだそうだ。

私自身は、目に見えないものが見えない。のぶみさん曰く、こういうことを妖精の前では禁句なのだそうだが、実際に龍も妖精も宇宙人も見えないので信じようがないのだ。しかし、そういうお働きだと解釈している。

それでも私が今世、地球に生まれてきた使命は、恐らく地球を護る事だと確信している。

思い返せば、小学の時は自然が好きで、緑豊かな祖母の家に行くことが何よりの楽しみだった。その頃、国連にも興味があったが、世界のことを理解するには未熟だった。

高校になり地球環境に興味がわき、環境問題を勉強したが、大学受験で進みたかった化学環境工学の道は、挫折した。

大学は滑り止めで受けていた建築が専攻であったが、専門とは別の社会教育主事に興味がわき、そちらの講義は成績優秀であったのに、そちらの進路も公務員しかなくここでもお勉強できない自分の壁にぶち当たり再び挫折。

現実を見たときには、心躍る仕事を見出せずに、やりたかったことは全て諦めて、なすすべなく、平凡な社会人となる。

そんなわけで?笑、地球環境や人道支援などには、小さい頃から魂レベルで携わりたいと思っていた。

こんなことをもう三十年近く忘れていたのだが、ここ最近、思い出し始めた。これが自分の使命だと確信している自分がある。本当に生き辛い半生だった。これからも生き辛くはあろうが、今は自分の本分を思い出せて喜びに満ちている。

地球つながりでいくと、建築の仕事を悶々としていた頃、縁あって素戔嗚がおられる地域に嫁ぎ、素戔嗚のもとで結婚式を挙げることになる。

素戔嗚が地球を守護するお働きであることはご存知の方も多いと思うが、その頃の私などは、その様なことは知りもしない、一般的な家が仏教の人間でした。

夫の家が、先祖代々神道であったことで、初めてその道へ意識が及び始める。ただ結婚式を神社で挙げるということだけは、以前からなぜか自分の中にあった。

これらは全て、守護神である父やご先祖様累代の方々のお陰であると、気付いたのも最近のこと。

その後、縁あって夫が始めたお店も天津神の伊弉諾尊の膝元だったことを知った。

こちらは、はじめはお店を始めたことによる色々な不調から祓いに出会い、そこから地域貢献、日本、地球守護にまで意識が及ぶようになったわけだが、

伊弉諾尊は祓いの神だそうで、地域の災難、災厄を祓い清める働きということだ。敷地内には土俵がある。

あくまで推測だが、土俵は、毎年、九州場所で横綱が土俵入りしていることもあり地震を鎮める意味合いがあるのでは。

縁ある地の産土様が、全て天津神である事を知ったのは、つい昨日のことであったが知識として浮かんでいたものが関連付けられはじめたことに最近気付かされることが多い。見えないお働きに導かれていると思える。

そして自分は、地球を守護する定めにあるとを確信せざるを得ないと、この時代に生まれたことも。

そして、直ちにここ最近の現象であるウィルスや電磁パルスや地震を祓い除けてくださったお力に、お礼と感謝のお詣りをしに向かった。

産土様の鳥居の前には大きな池があり沢山の鯉が泳いでいる。そこには水の神様として石が祀られている。

水の神様と言えば最高神である天之御中主之神しか思いつかないが、本殿ではなくこの鳥居の外の池の敷地の中に祀られていることが、腑に落ちないでいる。

自分が勉強不足で、水の神様も他にもおられるだろうし龍神のことなのかもしれないし伊弉諾尊がその役割かも知れないし、今は関連付いていない。

鯉は滝を登り龍になるという。ここがこの地域を護る要石の役割りなのか。

ここの鯉達も龍としてこの地域を護っているのかも知れない。

自分が神の分け御霊で、地球に生まれて、地球を実行守護する龍だとすれば、虚弱な色白のひ弱な龍のイメージしかなく到底微力でしかない。

だが神一輪を起こすのは日本人であり、日本人は龍の子なのだそうだ。

そんな大事を成し遂げるのが自分とは思ってはいない、ただ導くものが顕現したときに、いつでもその一助になる準備はしておかなければならないと思っている。

この日、鯉がやけに喜んで泳ぎまくって口をぱくぱくして挨拶しているようだった。

鳩もこちらを意識していたし、日頃警戒して寄り付かない雀までもがはしゃいでいる様にわたしの周りに集まってきた。

が、みんな餌が貰えると思っただけかも知れないが。。。この日は、なんか違った気がする。


2024年5月14日火曜日

遠津御祖之神様と繋がった瞬間

 今年三月に根のカルマの解消をする為に、自宅近くの神社へ毎日お詣りをしました。

そもそもなぜこれをしようと思ったのかは、ある神道家がやり方を伝えていたものをたまたま見る機会があったことと、過去世の行いや因果応報ということに関心があったからだろうと思う。

この間、わたしは毎日自宅で祝詞を奏上してから、産土様へ同じ願いを申すために二十一日間通いました。

最終日に、いよいよ自らのお願い事を述べた時に、これまでにない体感を感じました。

いつもお願い事を申した時にはこんなことにはならない。激しい鎮魂状態というか、血が騒ぐような感じというか、言葉では表しようがないのですが。

神道家の方曰く、お願い事を述べた後手を合わせて待っていると体が前に傾いた場合にはその願い事が聞き入れられた合図だと言われていました。

わたしはその時に体がぐらぐらした後に、後ろへ倒れそうになりました。

その時は、聞き入れて貰えなかったのだと、とてもがっかりしました。

聞き入れてもらえなかったのでまた最初からやり直しになると思ったし、そんなに簡単に解消されるわけもないかと思い、機会があればまたやろうなどと考えながら鳥居を出たのでした。

しかし、この産土様にお詣りをしている間に変わったことが幾つかありました。

一つは物事や特に対人に動じなくなったこと、一つは霊格の高い方との出会いがあったこと。

また、これを書いているのはお詣りから二カ月ほど経っていて、最近気付いたことですが首筋に憑き物が、憑かなくなったことです。

そして、大野靖志さんの話を聞き返していて言われていたことには、遠津御祖之神様と繋がった時には後ろに倒れるということです。

遠津御祖之神様と繋がったときの分かりやすい変化としては、人から変わったねと言われるようになるということだそうで。六年前に祓を奏上していた頃、後にパンデミックになり、パンデミック以降に人が戻ったときには、数名の方に、変わったねということは言われましたし、最近でも言われました。

ただそれまで、後ろに倒れそうになる体験はなかったので、まさにあの時、最後のお願いで後ろに倒れたのは、そういうことかと確信に変わりました。

遠津御祖之神様、国津神様、天津神様の認識も朧げの中お詣りし、今少しずつ関連付けられ始めたような気がしている。

今年に入ってから、色々な体験が加速していて、これまでの盲目さ加減が、不思議で仕方がない程に、ぼうっと生きてきた半生を省みている。